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三歩すすんで二歩さがる

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三歩すすんで二歩さがる
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本、音楽、映画、演劇、数学、教育・・・日々見聞きした出来事やそこから何を考えたのかをゆるゆると綴っていきます。
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母親の重圧

2012/01/29 17:51
これも、最近ふと思うこと。

「イクメン」なんていう言葉が流行るような時代になっても、子育てにおける母親の重圧たるやものすごい。

夫婦共働きで、保育園時代は送りなどで父親がある程度ワークシェアリングしていた家庭でも、小学校に入ると保護者会はほとんど平日開催なので、出るのは95%が母親。
なので、必然的に学校と保護者との連絡をすべて母親が担うことになる。

子どもに何か問題や足りないことがあったら学校からは父親ではなく母親に連絡が入る。
いきおい「私が悪いんじゃないかしら」と自分を責めてしまう母親のいかに多いことか。

学校の先生から何か言われる=母親自身の欠点を指摘される という思考回路が出来上がるのだ。
だから、先生から何か言われないよう、無意識のうちに先回りして子どもの身の回りの世話をしようとしてしまう。
例えば、小学校高学年や中学生になっても朝学校に遅れないように5分おきに起こしに行く とか、宿題や持ち物チェックをするなど。

学校に入りたての小学校1年生ならともかく、こんなこと、本来は子ども本人の責任のはず。
それが、いつのまにか「行動の主体」がすり替えられて、訳分からないことになってしまっている。

もちろん、子ども本人にも良い影響を与えるわけもない。

母親を心理的に追い詰め、子どもを過保護にしたって何にもいいことなんてない。
母親たちがもっと自由にものを考え、行動できるようにするには、究極的には社会全体が変わらないといけないということなのだろうか。

そこまで大げさに考えなくても、母親自身が思い切って子どもに何もしなければいいのになとも思う。
忘れ物が多くて先生に何か指摘されても「声かけはしますけど、最終的には本人の責任ですから」と受け流す。
あるいは、先生に怒られるか学校で困って本人が気づくのを待つ。
そのくらいの気持ちの余裕が持てないだろうか。

それすらも待てないほど、社会に余裕がなくなっているということなんだろうか。

つらつら考えるばかりでまとまりがないけれど、これって結構深い問題のような気がする。
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見守って待つこと

2012/01/25 20:12
今日はこの記事を読んでしばらく考えていたことを、文章にしてみます。

中3の今の時期だと、どうしても神経質になってしまいますよね。
私も同じ年頃の子どもがいるので、よく分かります。
でも、この記事にもある通り、学校制度の変わり目と子どもの成長の節目が違っていても全然おかしくないと、私も思います。

普通に学校に通っている子どもだって受験を控えて不安を抱えているんだから、 学校に行きにくくなっている子にとっては尚更ですよね。
だから、ますます学校から足が遠のいてしまうのも仕方のないことです。

「中卒浪人はあり得ない」と多くの人が言うけれど、うちの場合、仮に長男本人が納得のいく進路を決められなければ、無理して15歳の春に高校進学しなくてもいいとさえ考えていた時期もありました。

全日制普通科の高校に進む以外にも、いろいろな選択肢がある。
最終的に社会で役に立つ人間になれれば、途中のルートが普通と違っていても構わないと。

周りはいろいろと思うことがあるだろうし、中には余計な口出しをする大人もいるかもしれないけれど、保護者の方には「黙って見守る」という気持ちの余裕を残してもらいたいです。

まして「サボる」なんて言葉は決して口にしてほしくないです。

子ども自身だって、休みたくて休んでいるわけじゃない。
「学校は行った方がいい」って一番分かっているのは本人なのだから。

別に受験期に限ったことではないんでしょうけど、 保護者の方こそ「寄り添う」姿勢が最も必要ではないでしょうか。
とにかく、見守って待つことに徹していただけたら、それが一番子ども本人のためになるのだと思います。
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心身のバランス

2012/01/24 21:08
この記事で書いた通り、今年に入ってから休日は近所のプールに泳ぎに行くことにしたのですが、ついこの間の日曜日は天気が悪く寒かったので見送りました。本当は行きたかったなあ。

そうしたら今朝は雪が降った後道路が凍っていたので自転車が使えず、職場まで電車+徒歩で向かいました。
帰りは40分ほどかけて自宅まで歩きました。
これはこれでいい運動になりました。

当然のことながら、歳を重ねるごとに体力は衰えて行っているのに、ここ数年、忙しさにかまけて自分のメンテナンスまでとても気が回りませんでした。
特に去年の秋ごろからは、ストレスと過労で、休日は布団から起き上がれないほど気力が衰えてしまっていました。

今年に入ってもストレスは相変わらずかかっているのですが、運動を始めたせいか、思考力や判断力が以前よりはしっかり伴っているような気がします。
それが、態度や行動にも少しずつ表せているのではないかと。

やはり、心身のバランスは大事ですね。
身体の健康が損なわれると、心もどうにかなってしまう。逆もまた然り。

あとは、お金がもったいないからとついつい後回しにしてしまうマッサージを、短い時間でもいいので月1回は行こうかと思っています。
いくら運動していても、なで肩で首が長いからどうしても肩こりとつき合わなければならないし。

今年はこうやって、心身のバランスを保つよう、定期的にメンテナンスを心がけたいです。
長男の高校進学が決まったら、もう少し気持ちの余裕もできるといいんだけどなあ。


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想像力

2012/01/22 17:40
自分にとって大切なものを優先するために、代わりに何を手放すのかを決める必要があるのだと最近特に感じている。すべてをいいとこ取りしようとするとうわべをなぞるだけで結局何も残らない。
そのことに薄々気づきながらも「横並び」思想から抜け出せずに周囲の顔色や機嫌を機嫌を窺いつつ日々暮らしている大人のいかに多いことか。日本の学校教員がまさにその典型例だろう。それが子どもにも少なからず影響し、今日の学校現場で表面化している様々な問題と関連しているのだと思う。

結局「横並び」から抜け出せないのは,、お互いに想像力が足りないのが最大の原因ではないかと思う。相手の立場や考えていることを想像する。もちろん相手と自分の考え方が違っていて当たり前だということも認識する。その上で自分の価値観を大切にして行動できれば、相手が自分の思い通りの反応をしてくれなくてもいちいちイライラしなくて済むしさほど軋轢は起きないのではないだろうか。

しかし、今の学校現場はとにかく余裕がない。目の前の仕事をこなすのに精一杯で、隣の席の同僚が学校現場や教育について何を考えているのかなどに関心を向ける暇がない。
いや、本当はそういう議論をする時間や気持ちの余裕を最低限作るべきだと私自身は思っているのだが、周りの教員は担任業務からクラブ指導、校務分掌や事務仕事に至るまで同じような重みで処理しようとしていて優先順位をつけないものだから、相手を想像するような時間も余裕も生まれないし、そもそもそういうことを一顧だにしない教員も珍しくない。

大人どうしの想像力が足りないということは、目の前にいる子どもたちが今何に悩んでいるのか、どう行動したいと思っているのかも想像できていない可能性が高い。それは非常に不幸なことだ。
そんな大人が、子どもをより良く教育できるのだろうか。

今の社会が抱える大きな闇が、ここにも広がっているような気がする。
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学校は変わらないだろう

2012/01/21 18:33
私は自分が勤務する学校のことしか直接的には分からないし、それほど多くの学校現場の話を聞いたわけでもありませんが、どこへ行っても同じではないかなあと想像しています。
つまり、日本の学校の中にはこの記事にあるような「まともな」考え方をする教員が、果たしてどのくらいいるか、と疑問に思っているということです。

普段職員室で仕事をしていて、子どもやその保護者のために本質的に必要な仕事は何か、周りの教員が真剣に考えているようには見えないのです。例を挙げるとキリがないけれど、

職員室の中の同僚どうしの人間関係がちょっとうまくいかないと管理職からの指導が入るのに、生徒に生徒という大義名分の下「馬鹿」とか「餓鬼」といった罵声を浴びせた教員は、保護者からクレームが出ない限り何事もなかったかのようにスルーされる(←これはさすがに他校では問題になるのかもしれませんね)。

担任や校務分掌にどれだけついているか、とか、専任か非常勤か、といった肩書きや見た目ばかりがクローズアップされ、その仕事の中身がどれだけ意味があるのかないのかについては問題にされない。

などなど。

こんなんじゃ、不登校の子どもが増えるのは当然ですよね。
教員の私ですら「学校に行きたくない」と思うような日が結構あるくらいですから。

この記事で書いてあることに深くうなずきつつも、学校は変わらないだろうな、という悲観的予測を立てています。
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認めて、受け入れて、信じること

2012/01/19 19:49
最近になって、紙にでも書いて貼っておきたいとさえ思うような、私にとっての一種のスローガンになりました。

1 認める
子どもの存在や言動、諸々ひっくるめて、とにかく認める。とにかく認識することから始める。
特に初期の段階ではこちらからの働きかけは極力控え、子どものありのままの姿を観察することに徹する。

2 受け入れる
1の観察の段階で見えて来た状況や子どもの行動などが、たとえこちらにとって不快なものであったり不都合だとしても、「それが、この子の『今』なんだ」と受け入れる。

3 信じる
2で受け入れた「今」がずっと続くわけじゃない。
子どもは本来、自分からより良くなりたいと願っている。その欲求を見失わずに適切なタイミングで手助けをすれば、将来必ず変わるはずだと信じる。

自分の子どもでも、他人の子どもでも、この3つのステップは本当に大切だと思います。
今の仕事を続けている限り、常に頭の片隅で意識していたいです。
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基本をプロに教わるのが一番

2012/01/15 13:13
去年、特に秋以降心身ともに非常に辛くて休日は寝てばかりいたのですが、年が明けてから
「このままでは本当に体力が衰えてしまう。もう少し身体を動かしたいな」
と思うようになり、近くの市営温水プールに泳ぎに行くことにしました。

しばらくやっていなかったので、無理にならないように、月に2,3回、1回あたり30分くらい。
25m泳いだ後25m歩く、というパターンで、400mくらい泳ぎ+ウォーキングができました。

周りには私よりもう少し年配のおじさま、おばさまが泳いだり歩いたりしていました。
気になったのは、泳いでいる方々のフォームのバランスが恐ろしく悪いこと。
スイミングスクールで習ったことがない人が、運動不足や肩こり解消のためにやっているのかな、とお見受けしました。

私は子どもの頃喘息持ちだったので、小学校6年生までスイミングスクールに通っていました。
おかげでクロール、平泳ぎ、背泳ぎはひと通りマスターできて、自慢じゃないけど今日同じプールにいたおじさま、おばさまたちよりもずっとフォームが綺麗だったんじゃないかと思っています。

水泳に限らず、何事も基本の「型」をプロに教わるのが一番、ってことですよね。

私はリコーダーを習っていますが、1対1でプロの先生に教わっていると、少しずつですが確実に上達しているのが分かります。
また、小学校1年生から20歳過ぎまで書道も習っていましたが、やはりちゃんとした「型」を教えていただいたおかげで身体ではしっかり覚えていて、仕事関係で賞状や香典袋の宛名書きなどを頼まれることも結構あります。

それもこれも、プロの先生方に基本の「型」を教えていただいたからこそ。

これって、子どもを育てることにもある程度通じるんじゃないかという気がしていますが、その話になるとまたデリケートな要素が多々あるので、またの機会にします。

それにしても、休み休みでも200m泳ぐと、結構な運動になりますね。
無理のない範囲で、しばらく続けていこうかと思っています。
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